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東京地方裁判所 平成9年(ワ)8704号 判決 1998年9月14日

第八七〇四号事件原告(以下「原告大里」という)

大里義男

第八七〇四号事件原告(以下「原告成田」という)

成田豊吉

第一〇九三五号事件原告(以下「原告後藤」という)

後藤信夫

右三名訴訟代理人弁護士

大久保理

第八七〇四号事件及び第一〇九三五号事件被告(以下「被告」という)

株式会社企画宣伝社

右代表者代表取締役

金沢重夫

主文

一  原告大里及び同成田の請求をいずれも棄却する。

二  被告は、原告後藤に対し、金一二七三万一三九二円及び内金二九万九三九二円に対する平成九年四月二六日から、内金一二四三万二〇〇〇円に対する同年五月一六日から各支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

三  訴訟費用は、これを二分し、その一を原告大里及び同成田、その余を被告の負担とする。

五  この判決は、第二項、第三項に限り、仮に執行することができる。

事実及び理由

第一請求

一  被告は、原告大里に対し、金二七二万九六四一円及びこれに対する平成九年五月二〇日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  被告は、原告成田に対し、金四一四万七八三二円及びこれに対する平成九年五月二〇日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

三  主文第二項と同旨

第二当事者の主張

一  原告らの主張

(第八七〇四号事件)

1 原告大里は昭和五五年七月、原告成田は昭和四五年六月にそれぞれ被告に入社したところ、平成九年四月一五日、即日解雇された。

2 被告の給与・退職金規程第五章一五条三号には、勤続一〇年以上で円満に退社した者に対し、基本給に勤続年数を乗じた額の退職金を支給する旨、同一七条四号には、会社の業務上による解雇は円満退職として取扱う旨の定めがある。

3 平成九年四月一四日現在の原告らの基本給は、原告大里が金一一万五五〇〇円、原告成田が金一三万四五〇〇円であったから、原告らの退職金は次のとおりとなる。

(一) 原告大里 一一万五五〇〇円×一七年=一九六万三五〇〇円

(二) 原告成田 一三万四五〇〇円×二七年=三六三万一五〇〇円

4 平成九年一月ないし三月の三か月間の原告らの平均賃金は、原告大里が七六万六一四一円、原告成田が五一万六三三二円である。

5 よって、原告らは、被告に対し、原告大里につき、退職金一九六万三五〇〇円と予告手当七六万六一四一円の合計二七二万九六四一円及び訴状送達の日の翌日である平成九年五月二〇日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金を、原告成田につき退職金三六三万一五〇〇円と予告手当五一万六三三二円の合計四一四万七八三二円及び原告大里と同様平成九年五月二〇日から支払済みまで年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。

(第一〇九三五号事件)

1 原告後藤は、昭和三四年七月二〇日に被告に入社し、平成九年四月一五日に会社の業務上都合により被告を退職した。

2 原告後藤は、退職当時、被告の取締役であったが、平成九年四月一〇日、被告との間で、被告の給与退職金規程第五章一五条三号を適用して、被告は原告後藤に対し、基本給に勤続年数を乗じた金額を支払う旨合意し、同一八日、右金員を同年五月一五日までに支払う旨合意した。

3 平成九年四月一〇日当時、原告後藤の基本給は、三三万六〇〇〇円であったから、右金額は一二四三万二〇〇〇円となる。

4 ところで、被告から原告後藤に対する給与は、毎月一五日締め当月二五日払いであったところ、被告は、平成九年四月二五日、四月分の給与等について原告後藤に対し、半額しか支払わず、二九万九三九二円が未払いとなっている。

5 よって、原告後藤は、被告に対し、退職金一二四三万二〇〇〇円と未払給与二九万九三九二円の合計一二七三万一三九二円及び退職金について支払期限の翌日である平成九年五月一六日から、給与について支給日の翌日である同年四月二六日から各支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。

二  被告の認否及び反論

(第八七〇四号事件)

1 原告らの主張1の事実のうち、原告成田が昭和四五年六月に被告に入社したことは認め、その余は否認する。

原告大里は、昭和五五年七月に株式会社ハルナ企画(以下「ハルナ企画」という)に入社し、昭和五六年四月株式会社サンワ企画(以下「サンワ企画」という)に移籍入社した。

原告成田は、昭和四五年六月に被告に入社したが、昭和五〇年一一月に株式会社みやま企画(以下「みやま企画」という)に移籍入社した。

その後、みやま企画とサンワ企画は合併して有限会社サン・アド(以下「サン・アド」という)となったため、原告大里及び同成田は、サン・アドの従業員となった。

したがって、被告と原告大里、同成田の間にはいずれも雇用関係がないのであって、被告が右原告らを解雇することなどない。

2 原告らの主張のうち、同2の事実は認め、同3及び同4の事実は知らず、同5は争う。

(第一〇九三五号事件)

1 原告後藤の主張1の事実のうち、同原告の被告への入社年月日は認め、その余は否認する。

被告は、平成九年四月一五日、被告の就業規則第七章(賞罰)四二条一項(従業員として非難すべき行為または事実あるときは、これを処罰する)、四三条(処罰は、次の各号の事実があるときこれを行う)一号(職責を無視した行為があったとき)、二号(業務に関して不正不当な所為があったとき)、三号(暴行を働き暴言を吐きまたは不注意怠慢な行為があったとき)、四号(職場内を騒然とさせ社内の秩序を乱したとき)、八号(上長の命に反抗しまたはこれを侮辱したとき)、一三号(正当な理由なく、しばしば欠勤したとき)により、原告後藤を懲戒解雇した。

すなわち、当時サン・アドの取締役を兼任していた原告後藤は、被告のサン・アドに対する売上台帳を操作し、サン・アドからの入金がないにもかかわらず、平成八年七月三一日に、九七四万二八三二円の入金があったかのような処理をし、もって、サン・アドの被告に対する支払いを免れされようとした。

また、原告後藤は、日頃から傍若無人な振る舞いをし、上司、同僚及び部下に対して侮辱的言動を続けて社内の秩序を乱していたのみならず、後記のとおり、平成九年一月以降欠勤が多かった。

2 同2の事実のうち、原告後藤の主張のとおりの内容が記載された書面を作成した事実は認めるが、当時、被告は原告に懲戒事由があることを明確に認識していなかった。

3 同3の事実のうち、原告後藤の基本給額は認め、その余は争う。

被告は、前記のとおり、原告後藤を懲戒解雇したものであるところ、従業員が就業規則に違反し、またはその他の違法行為をなし退職を勧告された場合は、一切の退職金は支給しない旨の被告の給与・退職金規程第五章一六条により、原告後藤に退職金を支給しないこととした。

4 同4の事実のうち、被告が原告後藤の平成九年四月分給与を減額した事実は認める。

原告後藤は平成九年一月以降、ほとんど出社せず、また、出社しても無断で外出したまま帰宅してしまうなど勤務状況が劣悪であったため、他の従業員との均衡を図って、給与を減額した。

5 同5は争う。

第三当裁判所の判断

以下、書証については、第八七〇四号事件の書証には事件番号を付さない。

一  原告大里、同成田と被告との雇用関係の有無について

1  (書証略)、第一〇九三五号事件(書証略)、原告成田及び被告代表者各本人尋問の結果並びに弁論の全趣旨によれば、次の事実が認められる(当事者間に争いのない事実を含む)。

(一) 被告は、平成八年九月一四日に死亡した並木久雄(以下「亡久雄」という)によって、昭和三五年七月二〇日に設立された交通広告代理業等を目的とする株式会社である。

亡久雄は、被告の関連企業として、昭和四六年四月にみやま企画、昭和四九年一〇月にニュー企画、昭和五二年一一月にハルナ企画、昭和五五年七月にサンワ企画をそれぞれ設立した。なお、その後、みやま企画とサンワ企画は合併してサン・アドとなった。

また、亡久雄の生前は、同人が被告を含む関連企業全社の代表者であったが、同人の死亡後は、サン・アドを除く関連企業について、被告と同様、亡久雄の娘の夫である金沢重夫が代表者となり、サン・アドについては亡久雄の妻である並木千代が代表者となった。

(二) 被告が、その創立三〇周年を記念するとともに、主に被告を含む関連企業の従業員やその他関係者などに配付するために制作した「三〇年史」(書証略)中の会社概要には役職者として、営業部長として原告成田、営業部次長として原告大里が記載されており、右文書中の社員名簿には、原告成田が昭和四五年六月八日、原告大里が昭和五五年七月二一日各入社、勤続年数は平成二年七月二〇日現在で、原告成田が二〇・〇一年、原告大里が一〇・〇〇年と記載され、さらに右文書中、創立三〇周年表彰者氏名の社業貢献者欄に原告成田、同大里の氏名が記載されている。一方、同文書中の被告グループ社員一覧表(書証略)には、原告成田についてみやま企画、原告大里についてサンワ企画に各所属と記載されている。

(三) 原告成田は、平成二年七月二〇日、みやま企画の営業部次長から営業部長に昇進しているが、その辞令はみやま企画名義で作成されており(書証略)、原告大里が、平成二年七月二〇日、サンワ企画の営業部主任から営業部次長に昇進した際、平成三年一一月一日、営業部長に昇進した際のいずれもサンワ企画名義で辞令が作成されている(書証略)。また、平成四年八月二五日付の給与の支給方法に関する協定(書証略)は、サンワ企画と原告大里との間で交わされている。さらに、平成九年当時、原告成田、同大里の給与明細書(書証略)はサン・アド名義で作成されているほか、原告大里の給与はサン・アド名義で原告大里の銀行口座に振り込まれている。

退職金については、サン・アドが平成二年一一月一日、両原告を被共済者として特定退職金制度に加入している。

実際の仕事については、原告成田が昭和五〇年一一月以降みやま企画、原告大里が昭和五六年四月以降サンワ企画の仕事をし、両社合併後は、両原告とも合併後のサン・アドの仕事をしており、被告の仕事はしていない。

原告成田がみやま企画で仕事をするようになったのは、当時の被告亡久雄にみやま企画に行くように言われたためであった。

(四) 被告の「三〇年史」中、社員名簿に氏名が記載され、被告グループ社員一覧表にはみやま企画所属として記載されている梶塚義治が退職した際の退職金は、みやま企画名義で支払われている。

また、同様に右文書中、社員名簿に氏名が記載され、被告グループ社員一覧表にはハルナ企画所属として記載されている長峰新治、篠原迪が退職した際の退職金は、ハルナ企画名義で支払われている。

(五) 被告を含む関連企業の従業員の雇用条件等については、平成四年八月一日に改定された共通の就業規則及び給与・退職金規定が適用されており、関連企業間に差異はない。また、いずれの会社も同じ建物の同じフロアに事務所があった。

被告を含む関連企業間では、従業員の異動があったが、異動の都度退職金が支払われるようなことはなく、このような従業員が被告を含む関連企業を最終的に退職する際、関連企業内での通算勤続年数を基礎として算定した退職金を、当該従業員の退職時に所属していた会社が支給していた。

また、亡久雄の生前、健康保険等の手続は、保険加入には一社につき一〇名以上必要であったことから、被告が関連企業の従業員全員についてまとめて加入し、保険料等の経費を従業員数に応じて各社で負担していた。

2  右に認定した事実によれば、亡久雄の生前は、同人が被告を含む関連企業全社の代表者であったこともあって、関連企業各社は、それぞれ別の法人ではあるものの、会社間での従業員の異動があり、共通の就業規則等を適用したり、退職金を算定する際には、関連企業を通じての勤続年数を基礎とするなど、被告を中核として、その結びつきが極めて緊密であったということはできるし、被告を中核とする関連企業全体の従業員らにもある種一体感があったことも窺え、自分が関連企業のどの会社に所属しているのか明確に意識していなかった可能性も否定できない。しかし、前記のとおり、一方において、給与や退職金の支給については、被告を含めた関連企業が個別に行うなど、会計処理は個別にされていることが容易に推認できる。

ところで、原告成田及び同大里が長期間にわたりサン・アドの仕事をしていたことは当事者間に争いのないところ、両原告は、右の状態を被告からの長期出向であると主張し、被告制作の「三〇年史」の社員名簿に氏名及び勤続年数の記載があることや、創立三〇周年記念表彰者欄に氏名の記載があることをその根拠として掲げる。

しかし、平成二年七月二〇日現在の被告の社員名簿(書証略)記載の従業員氏名と、平成三年七月二〇日現在の被告グループ社員一覧表(書証略)記載の平成二年七月二〇日当時の従業員氏名を比較してみると、全員が一致していることが認められる。すなわち、仮に、社員名簿(書証略)記載の従業員が真実被告の従業員であったとすれば、被告を除く関連企業には一名の従業員も存在しないことになり、極めて不自然というほかなく、社員名簿に氏名、勤続年数が記載されていることをもって、直ちに両原告が被告の従業員でサン・アドに出向していたということはできないというべきである。被告制作の「三〇年史」の社員名簿の記載は、対外的に被告を含む関連企業の一体性をアピールし(被告代表者本人尋問の結果)、また、これら企業の従業員間の一体感を高める意図のもとになされたものと考えられるのである。そして、むしろ、原告成田及び同大里がサン・アドから給与の支給を受けていたこと、サン・アドは両原告を被共済者とする特定退職金制度に加入していること、実際にサン・アドの仕事をしていたこと、原告大里については、入社時の履歴書に亡久雄が「ハルナ企画入社」と記載していること(書証略、被告代表者本人尋問の結果)、被告グループ社員一覧表の記載などからすると、原告成田、同大里はサン・アドの従業員であったというべきである。

なお、原告成田、同大里は、平成九年四月一五日、被告から解雇されたと主張するので、この点について検討する。

しかし、原告成田及び被告代表者各本人尋問の結果によれば、平成九年四月一日、被告代表者が原告成田及び同大里に対し、サン・アドを辞めて被告に来るようにと言ったこと、同月九日、両原告が被告での就労を断り、その際、両原告から被告の退職に関する話が出たこと、それに対し、両原告について被告の従業員であるとの認識がなかった被告代表者は、即座に対応できなかったが、同月一四日、給料も退職金も支払わない旨両原告に告げたことが認められる。このような事実に照らせば、被告代表者が述べた給料も退職金も支払わない旨の発言は、被告代表者から被告との雇用関係を前提とした解雇の意思表示であるということはできず、むしろ、雇用関係がないことを確認した発言というべきであり、他に、両者の雇用関係を認めるに足りる証拠もない以上、前記認定を覆すものではない。

そうすると、原告成田、同大里と被告との間には雇用関係はないことになるから、両原告は、被告に対し、退職金を請求することはできない。

二  原告後藤の退職金について

1  第一〇九三五号事件(証拠略)、原告後藤及び被告代表者本人尋問の結果によれば、次の事実が認められる(当事者間に争いのない事実を含む)。

(一) 原告後藤は、被告及びサン・アドの取締役を兼任していたところ、サン・アドの代表者が並木千代となり、被告とサン・アドが取引関係等の清算に入ったことに伴って、被告を退職することになった。そこで、原告後藤と被告代表者が話し合い、平成九年四月一〇日、原告後藤の退職金については、被告の給与・退職金規程第五章一五条三号(第一〇九三五号事件書証略)を適用して、会社の業務上都合による退職扱いとし、退職金は、「基本給×勤続年数」で計算して支給する旨合意し、同日、書面を作成した(第一〇九三五号事件書証略)。そして、同月一五日、原告後藤から被告に対し、退職を承諾する旨の書面が提出され、同日、右は受理された(第一〇九三五号事件書証略)。さらに、同月一八日、被告は、原告に対し、退職金は平成九年五月一五日までに支払う旨約した。

(二) 平成九年四月一四日ころ、被告の監査役である小林益久は、被告の売上台帳のサン・アドに対する売掛金回収処理に不明朗な点があることを発見した。具体的には、サンワ企画に対する売掛金六七五万六八八七円、みやま企画に対する売掛金六〇八万九二九六円について、両社合併後のサン・アドから入金がないにもかかわらず、平成八年七月三一日、右合計九七四万二八三二円の入金があったかのように記載されていた。

原告後藤は、平成八年七月三一日当時、直接経理を担当する者ではなかったが、被告の取締役として、入金等の確認をする立場にあった。なお、原告後藤は、平成八年六月二一日から同年八月一七日まで胆嚢炎、腹膜炎のために帝京大学医学部附属病院に入院していた。

2  右の事実によれば、被告のサン・アドに対する売掛金の処理に誤りがあったのは明らかであり、右は原告後藤も否定するものではない。右の誤った処理は、被告に損害を与える可能性があったことも否定できないし、また、原告後藤が入金等を確認して経理について最終的な権限を有する立場にあったことからすれば、何らの責任もないとはいえないかもしれない。

この点に原告は、みやま企画とサンワ企画の合併に伴い売上台帳を一本化する際の単純な転記ミスであると主張し、一方、小林益久の陳述書(書証略)には、みやま企画とサンワ企画の合併に伴うサン・アドに対する売上台帳の一本化は平成七年八月から行われていること、前記認定のみやま企画に対する売掛金とサンワ企画に対する売掛金はその都度処理されるべきもので一度に処理される性格のものではないこと、原告後藤はコンピューターを操作することもできたことなどの記載がある。

右陳述書の記載によれば、原告後藤が主張するような単純な記載ミスであったかどうかについて疑問がないではない。しかし、被告には、原告後藤以外にもコンピューターを操作できる者はいたし(書証略)、前記の原告後藤の入院時期などに照らし、原告後藤が右の処理に積極的に関与していたということも直ちにできない。さらに、(人証略)も、原告後藤が、被告に損害を与えることを知りつつ故意に右の処理をしたというのは推測である旨の証言をしている。これらのことからすれば、原告後藤が右の処理にどの程度関与していたかも不明確である上、仮に最終的な決裁の段階で関与し、そこに誤りがあったとしても、それが故意になされたものであることを認めるに足りる証拠もない。

ところで、被告は、平成九年四月一五日、原告後藤を懲戒解雇した旨主張し、懲戒事由として、右の経理処理の件と原告後藤の日頃の言動を挙げる。しかし、すでに認定したとおり、原告後藤が故意に右のような処理をしたことを認めるに足りる証拠はなく、過失があったとしても、懲戒事由に該当する程度のものであったということもできない。

また、被告は、原告後藤の日頃の言動等を懲戒事由として主張するが、それらは、いずれも平成九年四月一〇日時点で不明確であったということは考えられず、同日、原告後藤に対する退職金の支払いを約する書面を作成していることからすると、被告としても原告後藤の日頃の言動について懲戒解雇事由に該当するとまでの認識はなかったというべきである。

さらに、手続的にみても、被告は、前記のとおり、平成九年四月一五日、原告後藤の退職承諾書を受理し、同月一八日に退職金の支払約束までしており、その同月一五日時点で退職によって、原告後藤と被告の雇用関係は終了したというほかなく、その後(同年五月八日付け解雇通知書、第一〇九三五号事件書証略)、同月一五日付けに遡らせて原告後藤を懲戒解雇することはできないというべきである。

したがって、原告後藤は、被告に対する退職金請求権を有しており、その額は、前記のとおり基本給×勤続年数で、三三万六〇〇〇円(第一〇九三五号事件書証略)×三七年(第一〇九三五号事件書証略、弁論の全趣旨)=一二四三万二〇〇〇円となる。

三  原告後藤の未払給与について

第一〇九三五号事件書証略、同事件(書証略)によれば、原告後藤の平成九年四月分給与は基本給及び特別手当がいずれも同年三月分の半額となっており、未払分は五月分の住民税(第一〇九三五号事件書証略)を控除した二九万九三九二円である。

被告は、原告後藤の勤務状況が劣悪であることから減額した旨主張し、懲戒処分としてなされたものであるかどうか必ずしも判然とせず、就業規則あるいは原告後藤の同意に基づいて減額したことを認めるに足りる証拠もない。仮に、懲戒処分としてなされたものだとしても、すでに認定したとおり、平成九年四月一五日当時、被告には、原告後藤の勤務態度等が懲戒事由に該当する程度のものであったという認識はなかったものというべきである。

したがって、いずれにしろ、右給与の減額根拠はないといわなければならず、被告は、原告後藤に対し、未払給与二九万九三九二円を支払う義務がある。

四  以上の次第で、原告大里、同成田の請求は理由がないから棄却し、原告後藤の請求は理由があるから認容し、訴訟費用の負担について、民事訴訟法条六一条、六五条一項、仮執行宣言について同法二五九条一項をそれぞれ適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 松井千鶴子)

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